「木端の火」は、こっぱのひと読みます。今では、それほど大きくなく、たわいないこと、頼りなく長続きしないことのたとえとして使われる言い方です。もともと目の前の火のありさまを言った言葉が、そこから人や物事のたとえへ広がっていったところに、この表現の成り立ちがあります。
まず「木端」は、木を削ったときに出る細かな木くずや、用材を切り取ったあとに残る小さな切れはしのことです。今の言葉なら、木の削りくず、木の小片といえば分かりやすいでしょう。そこに「火」がついて、「木端の火」は、そうした細かな木くずが燃える火を指しました。
木端は細かく乾きやすいため、火がつけばぱっと燃えますが、火持ちはよくありません。勢いよく見えても、すぐに燃え尽きてしまいます。この性質が、そのまま言葉の意味にうつり、はかないこと、取るに足りないこと、頼りないことを表すようになりました。
この言い方で大切なのは、「弱い火」よりも、「すぐ燃えついて、すぐ消える火」という点です。ですから、ただ小さいというだけでなく、あっけなさや、長続きしない感じまで含んでいるところに、この表現らしさがあります。
古い用例としてよく引かれるものに、1820年(文政3年・江戸時代後期)から1849年(嘉永2年・江戸時代後期)に刊行された滑稽本『花暦八笑人(はなごよみはっしょうじん)』があります。そこでは「こっぱの火」という形で現れ、たわいのない筋だということを、からかいまじりに言う場面に使われています。
また、1879年(明治12年・明治時代前期)の『開化のはなし』には、「畳の水練、木屑の火ほども用立たず」という言い回しが見えます。畳の上で水泳のまねをしても役に立たない、というたとえに重ねて、「木端の火」も、役に立たず頼りないもののたとえとして置かれています。
このように見ると、「木端の火」は、はじめから難しい考えでできた言葉ではありません。だれでも想像しやすい、木くずの火の燃え方を、そのまま人の感じる「つまらなさ」や「はかなさ」に結びつけた言い方です。生活の中で見慣れたものが、そのまま比喩になった、昔の日本語らしい作り方だといえます。
さらに、「木端」という言葉そのものにも、ただの木くずという意味だけでなく、「取るに足りない、つまらないもの」という意味があります。木端役人、木端喧嘩のような言い方があるのも、そのためです。「木端の火」には、木端そのものがもつ「小さく、取るに足りない」という感じも、重なっていると考えられます。
表記は「木端の火」とも「木っ端の火」とも書かれますが、意味の違いはありません。小さい「っ」が入る形は、読みの調子を表した書き方と考えてよく、中心にあるのは、どちらも「こっぱ」という同じ語です。
この言葉は、何かが役に立たないことを言うときにも使えますし、見かけほどの力がなく、すぐしぼんでしまうものを言うときにも似合います。強そうに見えても中身が続かない、という人の観察が、木くずの火という身近なものに託されているのです。
由来をまとめると、「木端の火」は、木の削りくずや小さな切れはしが燃える火をもとの姿とする言葉です。そして、その火がすぐ燃え尽きてしまうことから、はかないこと、たわいないこと、頼りないことを表すたとえへ広がりました。目に見える火の性質が、そのまま言葉の意味になった、分かりやすく、しかも味わい深い表現です。
主な参考文献
・『精選版 日本国語大辞典』
・『デジタル大辞泉』
・『花暦八笑人』
・『開化のはなし』












































































































