矢も楯も堪らない(やもたてもたまらない)は、ある気持ちが強くなりすぎて、もうこらえていられない、じっとしていられない、というときに使う言い方です。今でも、会いたい、知らせたい、確かめたいといった思いがあふれて、思わず行動してしまう場面でよく使われます。
この言い方の土台にあるのは、「堪らない」がもつ、がまんできない、持ちこたえられないという意味です。つまり、この表現の中心には、心の動きをもう押さえきれない、という感覚があります。
「矢」と「楯」は、戦いの場で思い浮かぶ道具です。矢は攻める側、楯は防ぐ側を表し、この二つを並べることで、攻めても防いでもどうにもならないほどの強い勢いをたとえた言い方になっています。
そのため、もともとの姿は、胸の内の気持ちをそのまま述べた言葉というより、戦の勢いを思わせるたとえの表現でした。どんな手立てをとっても抑えられない、という切迫した感じが、のちに人の感情や行動にも広く当てはめられるようになったのです。
古い用例としてよく挙げられるのは、式亭三馬の滑稽本『浮世床(うきよどこ)』です。コトバンクに引かれた例では、1813年〜1823年(文化10年〜文政6年・江戸時代後期)に成ったこの作品に、「矢も楯もたまらぬテ」と書かれています。
ここで大切なのは、この時点ですでに、実際に矢や楯を持って戦う話ではなく、気持ちが高ぶって抑えられない様子を表す言い方として使われていることです。つまり、江戸時代後期には、戦のたとえから心の勢いを表す慣用句へと、意味の広がりがはっきり進んでいたことが分かります。
表記にも少し移り変わりがあります。古い形では「楯」と書かれることが多く、言い切りも「堪らぬ」「たまらず」のような形が目立ちますが、今では「盾」「堪らない」と書くことが多くなりました。
この「たまらず」と「たまらない」の違いは、意味が変わったというより、文の中での形の違いと考えると分かりやすいです。「矢も楯もたまらず飛び出す」と続ける形もあれば、「矢も楯も堪らない」と言い切る形もあり、どちらも強い気持ちを抑えきれない点は同じです。
また、この言い方のおもしろいところは、ただ「待ちきれない」と言うより、もっと勢いが強く、心が前へ前へと押し出される感じを持つことです。落ち着いて考える前に体が動いてしまうような、はやる心まで含んでいるので、文学作品でも会話でも印象深く響きます。
似た意味の言い方に「居ても立ってもいられない」がありますが、「矢も楯も堪らない」には、戦の道具を並べた古風で力強いひびきがあります。そのため、同じ「じっとしていられない」でも、思いの激しさや切迫感をいっそう強く伝える言い回しになっています。
まとめると、矢も楯も堪らない(やもたてもたまらない)は、戦いにかかわる「矢」と「楯」を使って、どんな手段でも抑えられない勢いをたとえたことから生まれた表現です。それが人の心の動きにも広がり、江戸時代の文献に見えるころには、強い思いをこらえきれず行動してしまう様子を表す、今に通じる慣用句として使われていました。
主な参考文献
・『精選版 日本国語大辞典』
・『デジタル大辞泉』
・『会話で使えることわざ辞典』
・式亭三馬『浮世床』








































































































