いんごう【因業】の語源・由来
「因業」という言葉は、仏教の概念から派生しています。 「因」は結果を生む原因、そして「業」はその原因を助けるような間接的な行為を指します。 基本的には「報い」の原因となる行為という意味で使われます。 仏教では「善因善果」...
「因業」という言葉は、仏教の概念から派生しています。 「因」は結果を生む原因、そして「業」はその原因を助けるような間接的な行為を指します。 基本的には「報い」の原因となる行為という意味で使われます。 仏教では「善因善果」...
「因果」という言葉は、主に仏教で説明される「原因と結果の法則」を指しています。 この法則に従って、良い行いをすれば良い結果が生まれ、逆に悪い行いをすれば悪い結果が生じるとされています。 日本では特に鎌倉時代以降、この言葉...
「衣鉢(いはつ)」という言葉は、学問や技芸などの奥義が師から弟子に伝えられることを指します。 この言葉の語源は仏教に由来しており、特に僧侶が持つべき最低限かつ最重要な持ち物である「三衣(さんえ)」と「一鉢(いっぱつ)」か...
「一蓮托生(いちれんたくしょう)」という表現は、最後まで他の人と行動や運命を共にするという意味で広く用いられています。 この言葉の語源は、仏教の教えに基づいています。 元々、一蓮托生とは「よい行いをした人々が死後、極楽に...
「一念発起(いちねんほっき)」という言葉は、人がある目標や願いを達成するために心に決め、新たな行動を起こすことを意味します。 この表現の語源は仏教にあり、「一念発起菩提心」というフレーズがその原型です。 このフレーズで、...
「一大事(いちだいじ)」という表現は、現在では「重大な出来事」や「大事件」という意味でよく用いられますが、その語源は仏教に起源を持ちます。 元々、この言葉は仏が衆生(生きとし生けるもの全て)を救済するためにこの世に現れる...
「以心伝心(いしんでんしん)」という言葉は、日常のコミュニケーションでは「言葉を使わずに心や考えが相手に通じる」という意味で一般に使われています。 この表現の起源は、禅宗における教えにあります。 「以心伝心」は直訳すると...
「意識」という言葉は、主に自分が状況を理解しているという心の状態を指します。 この言葉は英語の “Consciousness” を訳したものであり、特に明治時代以降、哲学や心理学で広く使われるよう...
「安心」という言葉は、もともと儒教の言葉で「安心立命」として表現されていました。 この「安心立命」は「心を安らかにして、その身を天命に任せる、そしてどんな状況においても動じない」という意味合いを持っています。 この言葉を...
「行脚」という言葉は、もともと仏教の文脈で使われる言葉で、僧侶が修行の一環として各地を徒歩で巡る行為を指しています。 このような僧侶を「行脚僧」や「雲水」「遊行聖」とも呼びます。 この行為は、物質的なものから離れ、精神的...
「尼」は、仏教において仏門に入った女性、すなわち尼僧を指す言葉です。 この言葉の語源には複数の説がありますが、一つは梵語の「ambaa」から派生したとされています。 この「ambaa」は母親や女性を指す概念と関連しており...
阿修羅(あしゅら)は、元々はインド神話に起源を持ちます。 インドでは、阿修羅は血気盛んで闘争好きな神々であり、特に英雄神インドラとしばしば敵対していました。 雷を操るインドラと阿修羅との戦いは、インド神話でよく取り上げら...
「悪魔」という語は、文化や宗教によって異なる解釈や役割が存在しますが、基本的には「悪の道に誘うもの」とされています。 日本における悪魔の概念は、仏教の影響を強く受けています。 仏道修行、すなわち悟りに至る道を妨げる存在と...
「閼伽(あか)」は、仏教において仏に供える水を指す言葉ですが、その起源は梵語の「argha」にあります。 この梵語はもともと「価値」を意味し、贈り物や敬意を表す対象として用いられていました。 しかし、時間が経つにつれて、...
「阿吽(あうん)」という語は、仏教の真言(まんとら)に由来しています。 特に、この語は密教において重要な位置を占めています。阿吽は、「阿」(梵語で “a”)と「吽」(梵語で “hūṃ&...
「愛着(あいちゃく)」という言葉は、元々は仏教の文脈で「あいじゃく」として使われていました。 この場合、愛情に執着すること、または人や物に対して心がとらわれる状態を指しています。 この語は、仏教の修行においては「妨げ」、...
「挨拶」という言葉の起源は、禅宗の修行の中で形成された概念に関連しています。 禅宗では、師と弟子、あるいは弟子同士がお互いの悟りの状態を試すために問答を行うことを「一挨一拶(いちあいいつさつ)」と言っていました。 この用...
「愛敬(あいきょう)」という言葉は、もともと仏教の文脈で使われていました。 具体的には、阿弥陀如来や地蔵菩薩の顔が穏やかで慈愛に満ちていることを指し、そのような顔立ちや表情が「愛敬の相」と呼ばれていました。 この「相」は...
【意味】 わけ。理由。 【語源・由来】 漢文で、「~する理由」「~する手段」の意を表す。「所以~」を訓読したもの。「ショイ」「もって~するところ」とも読む。「ゆえん」は「故に」の転とされる。
【意味】 今となっては仕方がない。もうおしまいだ。 【語源・由来】 漢文で、慨嘆・絶望を表す「已矣」を訓読みし、簡単の意を表す「乎」や「哉」がついた。「已矣乎」「已矣哉」も「やんぬるかな」と読む。「やみぬるかな」の転。
【意味】 あるいは。または。 【語源・由来】 漢文で「若」を訓読したもの。「A若B(AもしくはB)」の形で使われる。副詞「もし」に、副詞語尾「く」と助詞「は」のついたことば。
「願わくは」という言葉は、願うことやできることならという意味を持つ古典的な表現です。 この言葉の起源は、漢文において願う内容を後に続ける際に使用される「願」を、日本語の訓読みで読むことから派生しました。 具体的には、古語...
「就中」という言葉は、中でも、あるいはとりわけという意味を持ちます。 この語の起源は、漢文に由来します。 漢文で「とりわけ」という意味を表すときに使われる「就中」という表現を、日本語の読み方、訓読みで読むと「なかにつく」...
「そもそも」という言葉は、日本語で「それにしても」や「いったい」という意味や、ものごとの「起こり」や「最初」という意味で使われます。 この言葉の背景には、漢文の文法が関与しています。 漢文では、文を改めて説明や述べ直す際...
「須く」、もしくは「すべからく」という言葉は、漢文の訓読、すなわち、漢字文を日本語の文法に合わせて読む際の技法から生まれた語です。 元々の表現は「すべくあらく」という形で、これは「すべきであること」を意味します。 その後...
「蓋し(けだし)」は、日本語で「おそらく」や「確かに」という意味を持つ言葉として使われます。 この言葉の語源に関しては、漢文に由来しています。 漢文では、文章の冒頭部分に位置する「蓋」という文字は「思うに」という意味を持...
「及び」という言葉は、主に「また」や「並びに」という意味で使われる接続詞です。 この語の由来は、漢字「及」を「および」と訓読したものであり、基本的に漢文訓読の際に使われる形です。 この漢字は動詞「及ぶ」に関連しており、「...
「曰く言い難し」(いわくいいがたし)という表現は、古典中国の思想家孟子(もうし)の作品「孟子」から来ています。 この文献には「曰難言」という表現があり、それが訓読されてこの日本語の言い回しとなりました。 具体的には、孟子...
「曰く」(いわく)という言葉は、漢文における「曰」(いわく)という字が訓読されたもので、その原意は「言うことには」といった形で引用文を導く働きがありました。 この字が日本語に取り入れられる過程で、その後に続く文が往々にし...
「あにはからんや」、または漢字で「豈図らんや」と表されるこの表現は、何かが予想外であったり、意外なことを表現するときに使います。 具体的には「思いがけず」や「意外にも」といった意味合いで使用されます。 この言葉の背後にあ...