いれずみ【入れ墨・刺青】の語源・由来

「入れ墨」と「刺青」は、肌に針や刃状の道具で模様や文字を彫り、色料を注入して作るアートフォームを指します。

これは先史時代から行われ、日本でも近世に特に流行しました。

言葉の由来や背景にはいくつかの面白いポイントがあります。

まず、「刺青」についてですが、この言葉は元々「しせい」と読まれていました。

明治5年に出版された「新聞雑誌三九」に「刺青」という文字が見られるものの、一般的に広く知られるようになったのは、作家の谷崎潤一郎が短編集「刺青」を発表して以後です。

一方で、「入れ墨」は、江戸時代には主に「彫物」と呼ばれていました。

この「彫物」は、特に遊侠の徒や一部の職人、例えば鳶(とび)などの間で行われていました。

漁師が身元確認のために、または鳶が自らの粋を見せるために彫物を施していたとされています。

さらに、入れ墨には「刑罰」としての側面も存在します。

五刑の一つとして、前科者に墨汁を刺し入れる方法があり、これも「入れ墨」と呼ばれていました。

この刑罰用の「入れ墨」は、ファッションとしての「彫物」とは明確に区別されていました。

要するに、「入れ墨」と「刺青」はいずれも肌に色を彫り入れる文化や概念を表す言葉ですが、時代や文脈、目的によってその意味や用法が異なります。

それぞれの言葉が持つ複数の由来や背景は、このアートフォームが日本社会でどのように受け入れられ、また時には排斥されてきたかを物語っています。

【入れ墨・刺青】の意味・語源由来!表で簡単まとめ

語源由来の博士
表を使って、「入れ墨」と「刺青」に関連する様々な文化的、歴史的背景とその複雑性をカンタンにまとめます。
項目 説明
用語
  • 入れ墨
  • 刺青
アートフォームとして 肌に針や刃状の道具で模様や文字を彫り、色料を注入
歴史的背景 先史時代から存在し、日本では近世に特に流行
刺青(しせい) 元々は「しせい」と読まれ、谷崎潤一郎の作品で広まった
入れ墨(彫物) 江戸時代には「彫物」と呼ばれ、遊侠の徒や職人(例:鳶)によって行われた
刑罰としての入れ墨 前科者に墨汁を刺し入れる方法もあり、これも「入れ墨」と呼ばれたが、ファッションとは区別される
文化的受容と排斥 それぞれの用語と方法が、日本社会でどのように受け入れられ、また時には排斥されているかを示す

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