さようならは、今では、別れるときのあいさつとしてだれもが知っている言葉です。けれども、もともとは最初から「別れのことば」だったわけではありません。
この言葉の出発点は、「さようならば」という形です。意味は「そうであるならば」「それならば」「それでは」で、話の流れを次へ進めるための言い方でした。
ここでいう「さよう」は、「そのように」「そう」という意味です。表記には「然様」や「左様」があり、今でも「左様でございます」のような言い方に、その名残が見えます。
そのため、さようならのいちばん古い姿は、相手の話を受けて「それならば」と言う、接続のことばでした。今のように、ただ別れの場面だけで使う表現ではなかったのです。
室町時代末から江戸時代初めごろの狂言『餅酒(もちざけ)』には、「左様成らば」と見えます。ここでは、話を受けて次の言葉へつなぐ働きをしており、別れのあいさつではありません。
このことから、さようならのもとの意味が「では、これで失礼します」そのものではなく、「そういうことならば」という受け方にあったことが分かります。まず相手の事情やその場の成り行きを受け止め、そのうえで次の動きに移る言葉だったわけです。
中世の終わりごろまでは、同じような場面で「さらば」や「それならば」のほうが多く使われました。さようならばが目立って使われるようになるのは、江戸時代に入ってからです。
その後、この言葉は、別れの場面でほかのあいさつと結びつくようになります。1788年(天明8年・江戸時代後期)の洒落本『曾我糠袋(そがぬかぶくろ)』には、「さやうなら、御きげんよふ」とあり、別れのことばへ近づいた使い方がはっきり見えます。
さらに1791年(寛政3年・江戸時代後期)の洒落本『南品傀儡(みなみのしなあやつり)』には、「さやうならば、御きげんよふ」とあります。ここではまだ「ごきげんよう」と並んでいますが、さようならばが、別れの場面の定まった言い方になりつつあったことが分かります。
やがて、この長い形から「ば」が省かれ、「さようなら」だけで別れのあいさつとして通じるようになりました。もともと接続の言葉だったものが、別れの気持ちをこめた独立した一語へ育っていったのです。
その変化は、少しくだけた「さよなら」にもつながります。1770年(明和7年・江戸時代後期)の洒落本『南江駅話(なんこうえきわ)』には、すでに「サヨナラ御機嫌よふ」が見え、今の短い形も早くから使われていたことが分かります。
つまり、さようならの由来は、「そうであるならば」という受け方の言葉にあります。別れに際して、相手の事情やその場の流れをひとまず受け止め、「それでは、これで」と次へ移る気持ちが、この言葉の中に入っていたのです。
だから、さようならは、ただ手を振って終わる軽い音ではありません。話のつながりを受けて、ひと区切りをつけ、相手を見送りながら自分も次へ進む、その静かな心の動きが、この短いことばの奥に残っています。
主な参考文献
・『精選版 日本国語大辞典』
・『デジタル大辞泉』
・虎寛本狂言『餅酒』
・洒落本『曾我糠袋』
・洒落本『南品傀儡』
・洒落本『南江駅話』




































































































