こうぼうにもふでのあやまり【弘法にも筆の誤り】の語源・由来

「弘法にも筆の誤り」という言葉は、どんなに熟練した専門家であっても、時折ミスや誤りを犯すことがあるという意味の格言です。

この言葉の背景には、平安時代の著名な僧、空海(弘法大師としても知られる)のエピソードが関連しています。

弘法大師は書道の達人としても名高く、ある時に天皇から応天門の額を書くように頼まれました。

しかし、彼が「応」という字を書く際、一部を書き落とすというミスを犯してしまいました。

このエピソードから、達人である弘法大師でさえ筆のミスがあることを示す例として、この言葉が生まれました。

さらに、弘法大師は自らのミスを認識すると、その書き損じた部分に筆を投げつけて、点を補完するという驚くべき方法で修正しました。

この逸話から、「弘法にも筆の誤り」という言葉には、ただのミスを指摘するだけでなく、達人の巧妙な修正技術やその柔軟性を称賛する意味も含まれているのです。

このように、この言葉は一方で「熟練者でもミスはある」という慰めや許容の意味を持ちつつ、同時に達人の驚異的なスキルやその瞬時の判断力を賞賛する意味も持っています。

そして、この言葉は熟練者であっても過信せず、常に注意深くあるべきだという警告の意味でも使われます。

【弘法にも筆の誤り】の意味・語源由来!表で簡単まとめ

語源由来の博士
表を使って、「弘法にも筆の誤り」という言葉の意味や背景に関する情報をカンタンにまとめます。
項目 詳細
意味 どんなに熟練した専門家であってもミスや誤りを犯すことがある
背景のエピソード 弘法大師(空海)が天皇からの命を受けて「応天門」の額を書く際、一部を書き落とすミスを犯したこと
言葉の由来 弘法大師がミスを犯したエピソードをもとに、「熟練者でもミスはある」という意味として生まれた
驚くべき修正方法 弘法大師が自らのミスを認識し、書き損じた部分に筆を投げつけて点を補完した
含まれる意味 ただのミスを指摘するだけでなく、達人の修正技術や柔軟性を称賛する意味も含む
言葉の使われ方 「熟練者でもミスはある」という慰めや許容の意味、達人のスキルや判断力を賞賛する意味、過信せず注意深くあるべきという警告の意味で使われる

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