てるてる坊主の語源・由来

てるてる坊主は、雨が続くときや、翌日に晴れてほしいときに、白い布や紙で作って軒先につるす人形のことです。今では子どものまじないとして親しまれていますが、言葉の成り立ちをたどると、昔の祈りや行事の気配が残っていることが分かります。

この呼び名は、まず「てるてる」が晴れることを表す「照る」からできています。同じ語を重ねる形は、願いをこめたり、様子を強めたりするときによく使われるので、「どうか照ってほしい」という気持ちが、そのまま言葉の形に出たものと考えてよいでしょう。表記には「照る照る坊主」「照々坊主」などがあります。

もう一つの「坊主」は、僧のように頭の丸い姿を表しています。てるてる坊主は、布や紙をくくって頭を丸く作るので、その形が坊主頭に見えたことが、名の後半につながっています。

古い例としては、1750〜1776年(宝暦年間〜安永5年・江戸時代中後期)ごろの『武玉川』に「照々坊主」が見えます。今の「てるてる坊主」とほぼ同じ呼び名が、江戸時代にはすでに使われていたことが、ここから確かめられます。

また、江戸時代の記録には「てるてる法師」という言い方も見えます。1830年(天保元年・江戸時代後期)成立の『嬉遊笑覧』には、この人形をつるし、雨がやんだら目鼻口をつけて祭ることが書かれています。つまり、今の名の前には、「坊主」とよく似た意味をもつ「法師」を使う呼び方もあったのです。

由来を考えるうえで、もう一つ大切なのが、中国の「掃晴娘(そうせいじょう)」です。これは晴れを祈るために作る女の人形で、日本のてるてる坊主とよく似た役目を持っていました。ただし、日本ではそのまま女の人形の名が残ったのではなく、坊主頭の人形として受け取られ、別の呼び名に育っていったようです。

日本各地には、これに近い別名も伝わっています。西日本では「日和坊主(ひよりぼうず)」、茨城県や福島県では「ころり道心」と呼ぶ例があり、晴れを願う人形の習わしが、土地ごとに少しずつ違う形で広がっていたことが分かります。

では、なぜ日本では「坊主」や「法師」の姿になったのでしょうか。これについては、昔、天気祭の祈りを受け持った旅の僧や修験者、あるいは「聖(ひじり)」と呼ばれる宗教者の姿が重なったのではないか、という説明があります。晴れを願う人形が、そうした祈り手の姿を小さく写したものだと考えると、「坊主」という名のつき方も分かりやすくなります。

この点は、はっきり一つに決められるものではありません。中国の晴天祈願の人形とのつながりを見る考え方と、日本の天気祭や宗教者の姿とのつながりを見る考え方とが重なって、今のてるてる坊主の形と名になった、と受け取るのが自然です。

さらに、今の人にもっともなじみ深い「てるてる坊主」という音の形は、1921年(大正10年・大正時代)に発表された浅原鏡村作詞・中山晋平作曲の童謡によって、いっそう広く知られるようになりました。発表当初の題名は「てるてる坊主の歌」で、この歌が、昔からの習わしを全国に親しい言葉として広めたのです。

まとめると、てるてる坊主は、「照る」という願いの言葉に、坊主頭の人形の姿が結びついてできた呼び名です。その背後には、江戸時代の「てるてる法師」「照々坊主」という古い言い方、中国の晴天祈願の人形、そして日本の天気祭の名残が重なっています。かわいらしい子どもの人形に見えても、その名の中には、昔の人が空模様に向けて託した切実な願いが、今も残っているのです。

主な参考文献
・『精選版 日本国語大辞典』
・『デジタル大辞泉』
・『改訂新版 世界大百科事典』
・『嬉遊笑覧』
・『武玉川』
・『てるてる坊主』浅原鏡村作詞・中山晋平作曲

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