ふびん【不憫】は、今では、気の毒でかわいそうだと思うこと、またそのようすを表す言葉です。人の境遇に心を寄せるときによく使いますが、この意味だけを見ていると、もとの形は少し見えにくくなっています。
この言葉は、もともと「不便」と書いて「ふびん」と読まれていました。古い時代には、今の「ふべん」とほぼ同じく、都合が悪いこと、思わしくないこと、不都合であることを表していたのです。
そこから意味が少しずつ広がり、「都合が悪くて気の毒だ」「つらい立場にあってあわれだ」という感じを表すようになりました。今の「かわいそう」に近い意味は、この流れの中で育ったものと考えると分かりやすいです。
古い例としては、970年〜999年ごろ(天禄元年〜長保元年ごろ・平安時代中期)の『宇津保物語(うつほものがたり)』に、「いとふびんなれ」とあるのが見つかります。ここではまだ、都合が悪い、困った、という意味合いが前に出ています。
その一方で、1001年〜1014年ごろ(長保3年〜長和3年ごろ・平安時代中期)の『源氏物語(げんじものがたり)』には、「いとふびんにこそ侍れ」とあり、こちらでは、気の毒であわれだという意味がはっきり表れています。平安時代の中ごろには、もう今の意味にかなり近い使い方が確かめられます。
さらにこの言葉には、ただ「気の毒だ」というだけでなく、「いとしい」「かわいい」と感じる気持ちもありました。『宇津保物語』には、人を愛らしく思う意味で「ふびん」と言う例もあり、あわれみと愛情とが、古くはかなり近いところにあったことが分かります。
中世になると、この語は「かわいがる」という意味にも広がります。『徒然草(つれづれぐさ)』には、一芸のある者を身分の低い者にまで大事にさせた、という文脈で「不便」と書かれた例があり、ここでは「目をかける」「かわいがる」に近い意味になっています。
また、鎌倉時代の書状には「不便がる」という形も見えます。これは、相手をやさしく大事に扱う、かわいがるという意味で、今の「不憫に思う」よりも、もっと積極的に愛情を向ける感じを持っています。
今よく使う「不憫」「不愍」という字は、こうした意味に合わせて後から当てた字です。「憫」も「愍」も、それだけで、あわれむ、いたむという意味を持つ字なので、「不」が打ち消しをそのまま表しているわけではありません。ここは、この言葉でとくにまぎらわしいところです。
つまり、ふびんは、はじめから「かわいそう」という気持ちだけを表した言葉ではありませんでした。もとは「不便」という形で、不都合さや苦しい立場を言い、その意味が人の境遇に移って、あわれみや愛情をこめた言い方へと育っていったのです。
ふびん【不憫】の由来をまとめるなら、出発点は「不便」と書く古い語で、そこから「気の毒だ」「いとしい」「かわいがる」という意味が分かれながら伸びてきました。そして今は、その中でも「気の毒であわれだ」という意味が中心に残っています。やさしい気持ちのこもった言葉に見えて、その奥には、古い日本語の意味の移り変わりが静かに重なっているのです。
主な参考文献
・『精選版 日本国語大辞典』
・『デジタル大辞泉』
・『宇津保物語』
・『源氏物語』
・『徒然草』
・『金沢文庫古文書』
・『普及版 字通』


































































































