「助」を「すけ」と読む形は、今のふつうの文章ではあまり多くありませんが、昔の官職の名や人名の中には今もはっきり残っています。たとえば「○○助」という名乗りの「助」がそれで、もともとは、人を支え、わきから力を添える者を表す言葉でした。
この「すけ」は、古い日本語では名詞として使われ、意味は「助けること」「手伝い」「その役をする人」でした。成り立ちは、動詞「すける(助)」の連用形が名詞になったものと説明されています。
古く残る例として、830年ごろ(天長7年ごろ・平安時代前期)の『西大寺本金光明最勝王経(さいだいじぼんこんこうみょうさいしょうおうきょう)』には、「薬の資(スケ)」と書かれていて、ここでは助けや支えの意味で使われています。『源氏物語』にも「すけなくて」とあり、援助や後ろだてがないことを表しています。
この「支える者」という意味から、朝廷の役所で長官を助ける役の名にも「すけ」が使われるようになりました。720年(養老4年・奈良時代)の『日本書紀』には、すでに「次官(スケ)」と書かれており、この読みがかなり古くから官職の言葉として定まっていたことが分かります。
律令制では、役所の主要な役人は、長官の「かみ」、次官の「すけ」、判官の「じょう」、主典の「さかん」の四つに分かれていました。このうち「すけ」は第二の位で、長官を補佐し、ときにはその代わりも務める大切な役でした。
おもしろいのは、「すけ」という読みは同じでも、役所の種類によって漢字が変わったことです。省では「輔」、坊や職では「亮」、国司では「介」、そして寮では「助」が使われました。つまり、入力にある「助」は、「すけ」を表す字の一つで、その中でもとくに寮という役所で用いられた字なのです。
そのことは、実際の記録にも残っています。759年(天平宝字3年・奈良時代)の『続日本紀(しょくにほんぎ)』には、「左大舎人助」と書かれた例があり、「助」が正式な官職名の字として使われていたことが確かめられます。
ですから、「助(すけ)」の由来をたどると、まず日常の「助け」「手助け」という意味の和語があり、その言葉が、長官を支える役人の呼び名へ広がった、という順序になります。官職の名が先にあって、それがたまたま「助け」に似たのではなく、もともと意味のつながった言葉だったのです。
やがて、この「すけ」は人名の後ろにもつくようになりました。古代以来の官職名が名乗りとして用いられ、中世以後には武士や各地の旧家の主人の名にも広く残りました。「助」「介」などが人名に多いのは、そのためです。
江戸時代になると、「承知之助」のように、ことばに「助」を添えて人名らしく見せる言い方まで現れます。1802年〜1809年(享和2年〜文化6年・江戸時代後期)の『東海道中膝栗毛』にそうした例があり、このころには「助」が、もう広く人名語尾として親しまれていたことが分かります。
こうして見ると、「助(すけ)」は、ただ一つの漢字の特別な読みというより、「支える」「助ける」という古い和語の意味を、そのまま官職や人名の中へ生かしてきた言葉です。役所では長官を支える人の名となり、名前の中では人を表す形として残り、今でもその古い意味の筋道をたどることができます。
主な参考文献
・『精選版 日本国語大辞典』
・『改訂新版 世界大百科事典』
・『日本書紀』
・『西大寺本金光明最勝王経』
・『源氏物語』
・『続日本紀』
・『東海道中膝栗毛』


































































































